いずれ死ぬのに生きる理由

人間の死と生の対比

「生」と「死」は、人間にとって大きなテーマの一つです。生と死は対比関係にあり、生があるからこそ死があると言えます。人間にとって死は宿命であり、すべての人間が必ず死を迎えます。人間は「生者と死者」「生物(生命体)と無生物(物体)」の違いに多大な関心を持ち、さまざまな思索をめぐらせてきました。また、生と死を対比させることで、人々は自分たちが生きていることの意味や価値を考えることができます。

生きる理由の探求

 私は生きることに特段意味はないと考えています。水素と酸素が条件付きで出会うと水になるように自然の摂理で存在しているだけだと思っているのですが・・・しかし、人はなぜ生きるのかの意味を探るのか、死について考えるのか・・・死後何も意識しない考えることができないのに愛する人の事を思いながら死ぬのかが不思議です。   『愛というものはとんでもない物質では?

「生きる理由」は人それぞれであり、見つけることができない場合もあります。しかし、自分が「生きている」という現実が先にあり、「生きる意味」「生きる理由」「生きる目的」は後から考えるものです。人生において、自分が何をしたいのか、何を大切にしたいのかを考え、自分なりの「生きる理由」を見つけることが大切です。

ところで人間以外の動物は

動物が死を認識するかどうかは、まだ科学的には解明されていませんが、集団で生活している動物においては、他個体が死ぬ現場を目撃する頻度が単独生活の種に比べて相対的に高くなるため、彼らは死んだ個体に起きた異常を認識することができます。例えば、動かなくなったという情報に加え、出血していれば血の臭いが、腐敗していれば腐敗臭がします。

しかし、「死」そのものに関する理解や概念は存在していないと考えられています。天敵や捕食者を避けるという行動は、死による身体機能の停止(すなわち将来の繁殖機会の喪失)を本能的に避けているに過ぎず、「死にたくない」という意志を反映したものではないと言えます。

今を生きることに精一杯

家族や友情といった人間関係の重要性

人間関係は、人生において重要な役割を果たします。家族との関係は、私たちが生まれ育った場所であり、私たちの人格形成に大きな影響を与えます。友人との関係は、私たちが自分自身を表現し、自分自身を発見するための場所です。

私たちは、家族や友人との良好な関係を築くことで、ストレスを軽減し、幸福感を高めることができます。しかし、時には、ある種の人間関係がストレスや不安を引き起こすこともあります。

とまあ、家族や友人との良好な関係は、私たちが幸せで充実した人生を送るために必要不可欠です。

好きなことや情熱を追求する喜び

好きなことや情熱を追求することは、人生において重要な役割を果たします。自分が喜びを感じる活動を行うことで、毎日が充実し、やりがいを感じることができます。しかしこれが、なかなか見つからない、見つかっても席がいっぱいで自分の居場所がないことが多いのが実情です!

私は、過去や歴史を学び未来を創造・想像することを楽しんでいます。そすることで自分の生死は永遠の中の一部である事を認識して、生きる意味があるとか無いとかどうでも良い事だと自分に言い聞かせています。

死と向き合う

死への恐怖と向き合う難しさ

死への恐怖と向き合うことは、人生において難しいことの一つです。死への恐怖は、自分自身や家族、友人などが死ぬことによって引き起こされるものであり、人生の最期について考えることは、多くの人にとって不安や恐怖を引き起こすものです。養老先生の言葉に『本人にとっての死はない』というものがあり、少し心が落ち着きますが、そんなものかと寂ししくもあります。

死への恐怖を克服できる?

死への恐怖を克服する方法は、人によって異なります。一般的には、自分自身が死について考えることで、恐怖心を和らげることができます。私は、死ねば全てがチャラになるの精神で克服できると思います。

死を通じて人生に意味を見出す方法

自分の人生に意味を見いだしている人は、死への恐怖が増加しないとされています.。具体的な方法としては、「創造性」「人とのつながり」「好奇心」「達成」「平静」など、自分の最も重視するものをはっきりさせることから始め、その瞬間の自分の価値観と自分が本当に大事にしたい価値観との間にズレがないか調整し、価値観に基づいた目標を設定することが挙げられています。 また、死生観について知っておくことで、後悔の無い人生を歩み、幸せな最期を迎えることができます。別に幸せな最後でなくて構わないのですが・・・だって終われば一緒ですもの!ただただ静かに終われればそれで構いません!いやっ静かであろうが喧しかろうが、終われば一緒か・・・?

宗教と哲学の視点

転生や来世の信念

 転生や来世の信念については、宗教や文化によって異なります。仏教では、輪廻転生という考え方があり、人間は死後に別の生き物として生まれ変わるとされています。最近では著名な物理学者が量子力学的観点から同じような事を言っていたので驚きました‼️また、ヒンドゥー教でも輪廻転生が信じられており、人間は前世の行いによって次の生まれ変わりが決まるとされています。一方で、キリスト教では、死後は天国か地獄に行くとされています。

哲学的アプローチによる人生の解釈

 哲学者たちは、人生の意義や目的、幸福などについて考え、それらを解釈する方法を提唱しています。例えば、アリストテレスは「幸福」という概念を提唱し、それを実現するための方法を論じました。また、ニーチェは「超人」という概念を提唱し、人間が自己実現するために必要なことを論じました。以上のように、哲学的アプローチによる人生の解釈は多岐にわたりますが、それぞれの哲学者が提唱した考え方は、人生に対する新たな視点を与えてくれるものとなっています。

科学的・進化的視点

生命の起源と進化から見る生きる理由

生命の起源は、地球上の生命の最初の誕生・生物が無生物質から発生した過程であり、それをテーマとした論や説は「生命起源論」と呼ばれます。現在でも、どの仮説か妥当なのか決定的な解答は得られておらず、様々な立場、角度から研究や議論が続いており、新たな仮説が立てられることも続いています。

一方で、進化については、チャールズ・ダーウィンが提唱した「進化論」が有名です。進化論は、種の多様性や共通点を説明するために提唱されたものであり、自然選択説や突然変異説などが含まれます。

生存本能と社会的共感の進化的背景

生存本能と社会的共感の進化的背景については、進化心理学から見たヒトの社会性(共感)という論文があります。この論文によると、ヒトの社会性や共感性の進化的基盤は、類人猿が持っている社会的能力にあるのだが、ヒトのこの超向社会性の進化的起源を解明するには、ヒトが類人猿の系統と分岐したあと、ヒト固有の進化環境で獲得されたと考えられます。 また、利他行動が進化する一つの道筋は、行為者と受け手との間に血縁関係がある場合で、それは血縁淘汰である。 

科学的知識に基づく人間の役割と意義

科学的知識に基づく人間の役割と意義については、以下のような意見があります。科学的知識を得ることで、将来の仕事に役立つ知識を得たり、科学に関係する社会問題に関して自分で判断できるだけの科学的知識を持つことができます。また、人間の叡智と科学の楽しみを知り、自然科学的世界観を構築することもできます。さらに、科学技術の発展が人間社会にもたらす諸問題に対し、高度な価値判断に基づいた速やかな意思決定を行うための文理融合型の学問(社会理工学)の果たす役割が重要であるとされています。

養老 孟司先生の死生観

養老孟司先生は、死を怖いと思ったことがないとおっしゃっています。解剖医として多くの死体と接してこられた先生は、社会を論じる著書『バカの壁』などで知られています。また、訪問診療医の小堀鷗一郎さんとの共著『死を受け入れること 生と死をめぐる対話』では、先生が「私の場合は、死から生を見るということで、視点が普通とは逆転してしまう」と述べられています。

先生の言葉で印象的なのは、死ぬ人にとっての死は無いというものです。本人は死を意識することが無いので、死とは遺されたものにあるというものです。

私が大好きな話が、ある日、先生がご自身のお嬢様に『部屋を片付けなさい』と言ったところ『どうせ散らかるから』と返ってきたので、『いつか散らかるから散らかしたままでいいなら、いつか死ぬのだから今、死になさい』と言ったという話が面白くて、そして深いな〜と思い、気に入っています。

6. 結論

生きる理由は多様であり個人によって異なる

 生きる理由については、人それぞれだと思います。因みに脳科学者の中野信子さんによると、脳科学的見地ではあらゆる生物の根本原理は「生き延びようとするためのシステム」であり、「人間はただ生きているだけ」だって。←寂しい気もしますが、肩の荷が下りて楽になる!それでも、自分自身が生きる意味を見つけることができます。たとえば、自分が何かに熱中していたり、何かを達成したいと思っていたりすることが、自分自身にとっての生きる意味になるかもしれません。また、人々が幸せを感じるためには、自分自身や周りの人々を幸せにすることが大切だという研究結果もあります。あなたにとっての生きる意味を見つけることができるよう、応援しています。

死と向き合うことで人生の価値が深まる可能性

 死と向き合うことで人生の価値が深まる可能性については、患者さんが教えてくれた学びがあるそうです。死を身近に感じることで、当たり前の境遇や1日の貴重さを実感し、大切な今を無駄にしないで生きようと思うようになるかもしれません。また、死を運命として自覚的に受け入れることを「死への先駆」と呼び、死への先駆によって現存在は自分の将来の(有限の)可能性にかかわらざるをえないという考え方もあります。死生観について考えることで、自分自身や家族の「死」と向き合う気持ちが生まれ、死に対する漠然とした不安や恐怖心が軽減されるかもしれません。

自身の価値観や信念を大切にしながら、意味ある人生を築く

 自身の価値観(価値は自分で決め、人と比べることではありません!相対的に考えると心を病むこ人が多いと思います)や信念を大切にしながら、自分のペースで人生を歩むことは素晴らしいことです。                   どのような人生が意味ある人生だと思いますか?

著名人たちの考え意見

  1. 名越康文氏の見解
    • 「いのちを説明するのは難しいです。」
    • 朝起きるときに「いのちがある」と感じることは難しいが、暗い気持ちになるといのちが軽く見える。
    • 仏教の教えから学び、「つながり合っている」という視点で生きることが意味を見出す一つの方法。
  2. 他の著名人の名言
    • 樹木希林: 「生きるのも日常、死んでいくのも日常」。
    • キング牧師: 「人は死んでも、その人の影響は死ぬことはない」。
    • 名もない哲学者: 「人間は、死ぬことを密かに望んだので戦争をしたのである」。

最終結論 生きる理由について考えることは、自己探求や人生の向き合い方にとって有益な探求ではあります。しかし答えが無いので深く考えることはやめましょう!

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