静かに終わりたい:喧騒のなかで選ぶ、静けさという幕引き

心と体はどこに向かっているのか?どこに向かえばいいのか?そもそも向かうとは?

終わり方には、その人の生き方がにじむ。 誰かに惜しまれながら、拍手のなかで去るのも美しい。けれど、誰にも気づかれず、そっと幕を引くことにこそ、静かな美学があるのかもしれない。

静けさは、逃避ではなく選択

「静かに終わりたい」と願う人は、決して弱いわけではない。 むしろ、騒がしさのなかで自分を見失わず、最後まで自分のリズムで歩きたいという、強い意志の表れだ。

それは、波が岸に打ち寄せては引いていくように、自然な流れの中で自分の終わりを受け入れる姿勢。 誰かに認められるためではなく、自分の心に正直であるための選択だ。

静かな終わりがもたらすもの

静かに終わることは、余白を残すことでもある。 語りすぎず、飾りすぎず、ただそこにあったという事実だけを残す。 それは、読む人・見る人・関わった人の心に、そっと波紋を広げる。

まるで、朝露が陽に溶けて消えるように。 誰にも気づかれずとも、確かにそこに存在していたという証が、静けさの中に宿る。

人生の最終章を迎えるにあたり、静かに終わりたいと願う人々が増えています。静かに終わるための準備や心の平穏を保つ方法について考えてみます。

心の平穏を保つためのステップ

1. 自分自身と向き合う静かに終わるためには、まず自分自身と向き合うことが大切です。過去の出来事や感情を整理し、心の中のわだかまりを解消することで、心の平穏を保つことができます。

2. 家族や友人とのコミュニケーション家族や友人とのコミュニケーションを大切にしましょう。自分の思いや希望を伝えることで、周囲の人々も安心し、支え合うことができます。

3. 終活の準備財産の整理や遺言書の作成、医療や介護に関する希望を明確にしておくことが重要です。これにより、家族に負担をかけずに静かに終わることができます。

未来への備え

1. 健康管理健康を維持するために、定期的な健康診断や適度な運動、バランスの取れた食事を心がけましょう。健康でいることが、心の平穏を保つための基本です。

2. 趣味や活動趣味や活動を通じて、日々の生活に充実感を持たせることが大切です。新しいことに挑戦することで、心の活力を保つことができます。

3. 心のケア瞑想やヨガ、カウンセリングなど、心のケアを取り入れることで、ストレスを軽減し、心の平穏を保つことができます。

静かに終わりたいと願う人々にとって、心の平穏と未来への備えは重要な要素です。自分自身と向き合い、家族や友人とのコミュニケーションを大切にし、終活の準備を進めることで、静かに終わるための準備が整います。健康管理や趣味、心のケアを取り入れることで、日々の生活に充実感を持たせ、心の平穏を保つことができます。

自論

なかなか人生とは馬鹿馬鹿しいと最近思う。いや前から思っていたけど、気づいてないふりをしていた。

いつ死ぬかは問題ではなく、死ぬか永遠なのかが問題である。

死は扉
未知の向こうに広がる
夢と永遠の闇
私たちはその扉を開く日を待つ

何が楽しいのか?人は自ら欲求を作り、そして満たすことで幸せを感じている。まさに自作自演の連続。とは言いつつもその日が来るまでは生きなければならない。それまでは、静かに暮らしたい。そして静かに終わりたい。

・・・のである。

自然環境に身を置くことで静けさを得ろうと山岳地帯や海辺に移住することに憧れているのですが、やはり予算がかかるので、ごく普通の田舎暮らしが現実的ですね

静かに終わりたい気持ちは、時に人々の心に訪れるものです。静寂や平穏を求めることは、私たちが日常の喧騒から離れ、内なる平和を見つけるための自然な欲求です。

心理

静かに終わりたい心理についても考えてみましょう。人々が静かに去る理由はさまざまです。以下に、静かに終わりたい心理のいくつかの要因をご紹介します。

  1. 自然消滅: 人々は時に、大きな別れの言葉を使わずに、美しくまたはカッコいい姿で別れることを選びます。相手を愛しているなら、相手の望み通りにしてあげることが愛の一環となります
  2. 精神的な疲れ: 人々はストレスや人間関係の問題に疲れていると、静かに去ることを選ぶことがあります。感情を爆発させたり八つ当たりをすることなく、静かに距離を置くことで、自分自身を守ることができます
  3. やりたいことがある: 本当にやりたいことに集中したい場合、静かな場所で没頭することがあります。他人の意見や期待に左右されず、自分の道を進むことを選ぶことがあります
  4. 人に合わせたくない: 周囲の人々の顔色をうかがうことが当たり前になっていると、人に合わせたくないと居心地が悪くなります。静かな場所で自分らしく生きることを選ぶ人もいます

これらの心理的要因に基づいて、静かに終わりたい場合は、自分自身を大切にし、適切な方法で距離を置くことが大切です。

一般的理由

静かに終わりたいと思う理由は人それぞれですが、いくつかの一般的な理由があります。

  1. 疲労感長期間にわたるストレスや過労が原因で、心身ともに疲れ果ててしまうことがあります。
  2. 人間関係の問題恋人、家族や友人、職場での人間関係がうまくいかないと、孤独感や絶望感を感じることがあります。
  3. 自己評価の低下自分に対する評価が低くなり、自信を失ってしまうことがあります。
  4. 健康問題慢性的な病気や痛みが続くと、生活の質が低下し、希望を失うことがあります。
  5. 経済的な問題経済的な困難や将来の不安が大きくなると、生活に対する意欲を失うことがあります。

静寂は、心をリセットし、自己反省や癒しの時間を持つために重要です。以下は、静かに過ごすことの魅力といくつかの方法です:

  1. 自然との共鳴自然の中で静かに過ごすことは、心身のリラックスに役立ちます。森林散歩や公園でのベンチで座って、鳥のさえずりや風の音を聞くことをお勧めします。
  2. 瞑想瞑想は静かな環境で行うことができる素晴らしい方法です。深呼吸をして、心を静め、自分自身と向き合いましょう。
  3. 読書静かな場所で本を読むことは、知識を深め、心を豊かにする方法です。好きなジャンルの本を選んでみてください。
  4. 音楽静かな音楽や自然の音を聴くことも、心を落ち着かせる手段です。リラックスしたいときには、穏やかな音楽を選んでみてください。

私は常日頃、瞑想で内的な平穏と静けさを追求しています。というより理想と現実の乖離を埋めているのであります。もはや瞑想というより妄想です(いわゆる現実逃避😆)日々の瞑想や呼吸法の実践によって、心を静め、心身のリラックスを促すことができるそうです。ヨガでもはじめっかなぁ(片岡鶴太郎さんは静かに終わりたい人の完成系なのかもしれない)

  1. 日々の生活の簡素化: 静かな暮らしを実現するためには、物質的な面でもシンプルにすることが重要です。不要な所有物を整理し、必要最小限のものに絞ることで、物質的な負担を減らし、心に余裕を持つことができます。
  2. 静寂を求める場所への旅: 静かさを追求するならば、静かな場所や巡礼地を訪れることも検討してみてください。瞑想センターや修道院、自然豊かなリトリート施設など、静けさと内省の場を見つけることができるでしょう。
  3. バランスの取れた生活: 静かに暮らすことを求める一方で、人間関係や社会的なつながりも大切にしましょう。社交的な活動や人々とのコミュニケーションを持つことで、心の豊かさや意義を感じることもあります。

重要なのは、自分自身がどのような生活が自分にとって最も意味のあるものであるかを理解し、その目標に向かって自分なりの方法で進むことです。自分の内なる声に耳を傾けることです。悲鳴が聞こえるはずです

古代哲学者の終わり方

  1. 自然死: 多くの古代哲学者は自然死によって生涯を終えました。彼らは老いて衰えることを受け入れ、自然の摂理に従って死に臨みました。
  2. 処刑: 古代哲学者の中には、政治的な理由やその思想に対する敵意から処刑されることもありました。たとえば、ソクラテスはアテネでの裁判によって死刑にされました。静かに終わることさえも許してもらえないなんて!
  3. 自殺: 一部の古代哲学者は自殺を選ぶこともありました。彼らは自己の自由を最も重んじ、自らの人生を終わらせることで哲学的な意義を見出そうとしたのです。私にもこの考えがあります。
  4. 不明: 古代の歴史は不完全な部分もあり、一部の古代哲学者の終わり方は明確には分かっていません。彼らの詳細な生涯や最期についての情報は失われてしまった可能性もあります。

古代哲学者たちは、自らの思想や哲学に対する忠実さや情熱によって、様々な終わり方を迎えました。その影響は現代にも続いており、彼らの思想は今なお研究や議論の対象とされています

静かな終わりと内なる静寂の関係

静かな終わりは、一般的には平穏で静寂な状態であることだと思います。それは、外部の騒音や混乱から解放され、心と精神が穏やかな状態になることを意味します。静かな終わりは、個人的な安定や幸福の状態を表現することもありますが私が思うに、幸福であるとか不幸であるとか、そんなものは相対的なもので無意味だと思っており、何も持たずに小さな喜びと愛情を持って終われること、又、その日まで、そのことが有意義であると信じて迎えにきてもらえる事が静かに終わるという事だと私は思っています。もちろん考えが変わることはあると思います。(だって人間だもの)(政治家も経験や様々な意見を聴いていると考え変わっていいと思うんです。一貫性が無いと言われることをいい意味の場合は恐れなくていいと思います)

一方、内なる静寂は、心の中に存在する静けさや平穏な状態を指します。内なる静寂は、心の騒ぎや心配事から解放され、集中や自己反省を深めることができる状態を表現します。内なる静寂は、瞑想等を通じて達成することができるそうです。私は子供の頃から、妄想からの瞑想に突入していた気がします。

静かな終わりたいことと内なる静寂は密接に関連しています。静かな終わりを追求する人々は、内なる静寂を見つけることに焦点を当てることが多いです。内なる静寂を経験することで、外部の騒音やストレスから解放され、心の平穏さと静けさを感じることができます。内なる静寂は、静かな終わりを求める旅の中で目指すべき目標の一つとなり得ます。

内なる静寂を見つけるためには、定期的な瞑想やリラックス法の実践、自然に触れること、自己探求を深めることなどが役立つ場合があります。これらの実践は、心の内なる静寂を促進し、静かな終わりを追求する人々にとって重要な役割を果たすことがあります。

結論として、静かな終わりを求めることと内なる静寂は、心と精神の平穏さと関連しており、互いに影響しあうことがあります。内なる静寂を追求することで、静かな終わりを見つけることができるかもしれません。そして、静かな終わりを追求することが内なる静寂を醸成する手助けになるかも。

愛と別れの関係

  1. プラトンの考え方: プラトンは愛について「魂の半分を見つけること」と考えました。彼は、人々は元々完全な形を持っていたが、神々によって切り離され、愛する人を見つけることで再び完全性を取り戻すことができると信じていました。しかし、別れは魂の欠片を再び結びつける機会を奪うものであり、苦しみの原因となるとも述べています。魂の半分を見つける・・・なんか素敵な考えですよね!
  2. カントの考え方: カントは人々が自己中心的な欲望に基づいて他者を愛することを批判しました。彼によれば、真の愛は道徳的な義務から生まれるものであり、他者の尊厳を尊重しつつ相互の利益を追求する行為です。したがって、別れは個人の道徳的な選択や自己成長の機会となる可能性があります。
  3. カミュの考え方: カミュは愛と別れを哲学的な不条理と関連付けました。彼は人生の根本的な意味や目的を追求することは不可能であると考え、愛や別れの瞬間に人々が直面する不条理を強調しました。彼によれば、愛や別れは個々の経験や感情の一部であり、それらを受け入れることで人々は自己の存在を意識することができるのです。

これらは一部の哲学者の考え方の一例で、愛と別れの関係は個々の経験や文化によっても大きく異なるので最終的な答えにしてはいけません。愛と別れは人生の一部であり、個々の哲学的な視点や感情によって解釈されるものです。

物理学者のアインシュタインも『宇宙の力、エネルギーは愛である』みたいなこと言っていたとか。

哲学から静かな終わりへの道を探る

  1. ストア派哲学(ストアイズム)の考え方:ストア派哲学は、エピクテトスやマルクス・アウレリウス・アントニヌスといった哲学者たちによって展開された哲学です。この哲学では、物事に対して自分の力でコントロールできる部分とできない部分を区別することが重要視されます。人生の静かな終わりを迎えるためには、自分がコントロールできないことに執着せず、自分がコントロールできることに集中することが求められます。
  2. アリストテレスの幸福論:アリストテレスは「幸福(ユーモニア)」を人生の究極の目標と考えました。彼によれば、幸福とは個々の人が最も自然な状態で自己実現することであり、徳を追求することによって達成されます。人生の静かな終わりへの道を探るためには、自己実現を追求し、善い徳を身につけることが重要です。幸福とは何なのか難しいようで簡単なようで・・・考えること自体が無意味。感じるものだから仕方ないのかな(5感では無理かも)
  3. エクセレンティア(卓越性)の追求:哲学者マルティン・ハイデッガーは、人間の存在の本質を「存在(ダーゼイン)」と呼びました。彼によれば、人間は自分自身を超えた状況に立ち向かいながら、自己を実現することが求められます。この観点から、人生の静かな終わりへの道を探るためには、自己を超えた目標を持ち、エクセレンティア(卓越性)を追求することが重要です。
  4. イマヌエル・カントの義務論:カントは「義務論」として知られる倫理学を提唱しました。彼によれば、人間は理性に基づいて行動することが重要であり、自己の道徳的な義務を果たすことによって人生の意義を見出すことができます。人生の静かな終わりへの道を探るためには、自己の道徳的な部分を維持し続けることが重要なのかもしれませんが私はそれを深く考えない脳で静かに終わりたいのです。

仏教エンプティネス

月は静かに呼んでいる

エンプティネス(空)の概念は、静けさや終わりを迎えることと深い関係があります。仏教や禅の哲学では、エンプティネスを通じて心の静けさや平穏を見出し、終わりを迎えることが重要視されています。こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、そろそろ人生を、静かに終わりたいのです。

エンプティネスの考え方は、執着や欲望から解放され、心の平穏を実現するための道を示しています。エンプティネスの理解によって、私たちは物事や現象、自然の摂理を受け入れることができます。私たちが執着することから解放されると、心は静けさに満たされ、安定感や内なる平穏を実感することができます。

また、エンプティネスの概念は、終わりを迎えることとも結びついています。仏教や禅の教えでは、物事や現象は永遠に続くものではなく、終わりを迎えることが自然の摂理であるとされています。この理解に基づいて、私たちは変化や流転の中で積極的に受け入れ、終わりを迎えることへの恐れや執着から解き放たれるのだと思います。

最後は雨の日に静かに終わりたい

子供の頃から私は雨の日が好きでした。なので最期は雨の日がいいですね。

雨の日にボーっとしていると、嗚呼このまま静かに終わりたい・・・と。

元々、お酒は呑まないのですが呑むようになってから一年、尿酸・心電図・ひどい高血圧により精密検査の招待を受けました。

人は改善するのには時間がかかるけど、悪くなるのは早いもんだなと痛感しました!

静かに終わりたいと思っている人は意外に多い

私の憧れでもあった、俳優:田村正和さんも『もう静かに死にたい』と言ったとのことです。

フランスの哲学者、ヴォルテールの最後の言葉は『静かに往生させてもらいたい』だったそうです。

有名人の自殺が多い 〜一般人の自殺は報道されないのでそう感じるのかも知れません〜

地位も名誉も財産も一般人的には持っているように思える有名人が、静かにひっそりと自ら命を絶つということに切なさと驚きを感じつつ、気持ちがわかってしまう自分がいます。お金などでは埋めれないものが一番生きる理由に必要なものかもしれません。もしくは、地位や名誉、財産を手に入れることは、同時に孤独と人間不信などの負の資産を取り込んでしまっているのだと思います。!

私は、仕事以外ではいつも一人です。そうすることで、他人に与えているストレスを減らすことができると思っています。そうすることで、その人たちが家族や友人などに優しくなれると思うので。そしてそれは自分のストレス緩和にもつながります。今の時代、必要以上の飲み会や交流会で情報交換しなくても情弱になることはありません。もちろん誰かが切磋琢磨してコミュケーションを取り、研究をし、新しいものが生まれて、新しい情報が生まれる。ですから、みんながいつも一人で行動したら困りますけど。

 母を突然亡くしてからの私は、さらに一人で過ごす時間が増えました。サウナでボーっとしたり焚き火台と七輪の前でボーッとして、屋外のプロジェクターで映画観て、本読んで、酒飲んでボーッとしていつの間にか寝ています。目が覚めた時に;また今日がきてしまったか;と思ってしまうこともあります。

終わりはあるのか?

静かに終わりたいと思い始めて長い時が経ちました。

近年、ロジャーペンローズという凄い物理学者が人は死後、意識は宇宙に放出するという死後の世界を肯定するような発言をされているので、もしかしたら死後の世界みたいな空間も、あり得るのかなと思っています。そうなると静かに終わるという願望に問題が出てきます。なぜなら次の世界が始まってしまうからです。

生きている理由・意味

生きる意味は、人々にとって深い哲学的な問いです。私たちはなぜ生まれ、なぜ生きているのでしょうか?いくつかの視点から考えてみまひょか👆

  1. 種族を存続させること:人間は子孫を残すことで、種族を維持しています。
  2. 自己理解:自分自身について知り、成長し、学び続けることが生きる意味の一部です。
  3. 世界への適応:私たちは世界の中で生きており、環境に適応することが求められています。

また、精神科医の樺沢紫苑氏は、「生きる意味」を自分なりに模索する中で、次の言葉を残しています

「 なんで生きるかというと、死ねねえからだよ。 死なないから生きているとしか言いようがない。」

この言葉は、私たちが生きていることの本質を考えさせてくれます。生きる意味は、自分自身で見つけるものであり、後から考えるものです。哲学的にも、生きる意味は存在しないとされています。僕もそう思う🤨

 最終的に、私たちは自分の人生に意味を見出し、幸せを追求することが大切と言いたいところですが、そんなもんは無いと思います。

養老孟司先生の死生観

養老孟司さんは、解剖学者であり、東京大学の名誉教授です。彼の死生観は、人々にとって深い哲学的な問いであり、以下のように語られています

「死んだあとのことは知ったことではない」。養老孟司さんは、「終活」は無意味であり、自分で死後のことを整理する必要はないと断言しています。死という自分ではどうにもできないことに対して、自分でどうにかしようとするのは不健全だと考えています。生まれたときも、気付いたら生まれていたわけであり、死も「気が付いたら死んでいる」で十分だと述べています。さらに、死んでいることに自分が気付くことはないとも語っています。

結局のところ・・・本人にとっての死というものは無く、遺された者にだけあるということです。

養老孟司さんは、物を整理して死に際をきちんとしようとすることは、はた迷惑な行為だと考えています。人生は諸行無常であり、何事も順送りで進んでいくものだと述べています。

このように、養老孟司さんの死生観は、自分の人生に意味を見出し、幸せを追求することが大切であると示しています。

養老先生が何かの番組で『娘に部屋を片付けなさいと言ったら、;いつか散らかるから片付けない;と言ったので、じゃあ、いつか死ぬから今死になさい』と言ったという話(細かい言葉は間違っている)は面白かったですね。

一人が好き

私は一人でいるのが好きで、仕事以外で複数でいることは殆どありません。休みの日は一人で温泉に行き、食事をします。ジムに行くのも旅行に行くのも一人です。もちろんソロキャンプです😁

一人が好きな理由

  1. 深く考えたい: 一人が好きな人は物事を深く考えて悩みや問題に対処することがあります。静かな環境で思考に集中できるため、一人で過ごすことを好む傾向があります。
  2. したいことをする: 自分のペースでしたいことをするために、一人になることを選びます。他人に干渉されず、自分のやり方を重視する性格があります。
  3. 周りの評価は気にしない: 一人が好きな人は、周りの評価を気にしないことが多いです。自分のしたいように行動できる自由さを大切にします。
  4. 人間関係でストレスを感じたくない: 集団行動すると人間関係で問題が起きることがあるため、一人で行動してストレスを避けることがあります。

一人が好きな人は、集団の中で目立ちたがらない特徴がありますが、私は若い頃目立ちたがり屋でスポーツも花形のポジション、数学などの問題も一番に答えたいタイプでした。それが段々と馬鹿馬鹿しくなり長い年月をかけて一人好きに磨きをかけました。私みたいな人間は人付き合いが苦手ではないが、一人でいることを好む人々です。

一人が好きな人と恋愛や結婚する場合、相手の一人でいる時間を尊重し、放任主義で縛らないことが大切です。

ひとり時間の楽しみ方(家)

  1. 映画を見る:お気に入りの映画やドラマをゆっくり楽しんでください。サブスクリプションサービスを利用して新旧の作品を鑑賞できます。
  2. おうちカフェをする:美味しいコーヒーや紅茶を淹れて、お気に入りのケーキと一緒に楽しんでみましょう。特に昭和レトロなお店や街中がいいですね
  3. ダラっとする:思い切ってゆっくり休んで、リフレッシュしましょう。
  4. 模様替えをする:部屋の模様替えで気分転換を図りましょう。
  5. YouTubeを見る:好きなジャンルのYouTuberの動画を楽しんでください。

これが雨の日だと最高なんですよね!テンションが⤴️(逆の人が多数とは思いますが・・・)

ひとり時間の楽しみ方(外出)

  1. ウィンドウショッピングに行く:おしゃれなショップをのぞいて、気になるアイテムを探してみてください。
  2. 本屋さんへ行く:知的好奇心を刺激する本を探してみましょう。
  3. 散歩やストレッチ:青空の下でリラックスした時間を過ごしましょう。
  4. 美術館や動物園に行く:文化や自然を楽しむ場所へ足を運んでみてください。映画館で映画もいいですよ。10代の頃から気になっていた田中一村の記念美術館が奄美大島にあるので50歳を目の前にしていってきました。もっと早く来るべきでした!生命力溢れると同時に儚さや、弱さを感じる絵でした。それは田中一村の生涯そのもののように感じました。

どの方法も、自分のペースで楽しめるものを選んで、充実したひとり時間を過ごしてくださいね。

思いつきで時々つぶやく

2024年8月25日、とにかくずっと暑い日が続いてる。そして何より辛いのはここ福岡は全くと言っていいほど雨が降らないのです(私は雨が大好きで、雨によってストレスを流しているのに)暑いけどサウナには行くんです。水風呂が最高です💧私は、最近流行りのととのうだけではなく、このまま静かに終わりたいのです。

最近、親友同士間での格差を感じるようになり付き合いを少しづつ減らしています。こうして静かに終わりたい気持ちが増幅しています。子供も大学(旧帝大)合格し安心と共に更に生きる意味が無くなりました。そろそろ本気で終わりたいと感じていますが、いずれ死ぬから何か弱い立場の人たちのために知恵と体力を使ってみようかと思っている今日この頃です。綺麗事ではなく人のためになることが最大限の存在価値・意味を持つと聞いたことがあるので、この際、静かに終わるついでに、その言葉を信じて人の為(特に弱者)に生きてみようと思います。それと宇宙についての勉強・天体観測に時間を費やしたいと考えています🔭

宇宙には静かの極み(音が伝わらない)、そして始まりでもあり終わりでもある。この宇宙がどうなっているのかこれからどんなことが解明さされるのかそんなことに想いを馳せながら生きていこうと思います・・・

誕生

静かに終わるというより静かに始まったという感じでしょうか?イラスト、臍の緒みたいですね・・・

静かに終わりたいけど宇宙にだけは行ってみたい・・・ということでロケット打ち上げを見に行きました。今回は決行される気がしたので乗り物、ホテル、レンタカーすべて予約して、仕事もキャンセルして挑みました!
結果、予定通り発射して無事成功しました🥳静かに終わりたいとは裏腹に轟音でしたGoooooooo!

種子島最高

どんどん寂しさが増してきました

家族・親族も少しずつ減ってきたな

最近は人付き合いも殆どしなくなりました。暇なので資格勉強でもしていますけど私の場合は目的が違っていて世の中の人がどんなことに興味がありどんな専門性があったり趣味があるのかを資格勉強を通じて知ろうとしているだけです。その中で私にできる弱者救済のアイディアが出でてくるかもしれません。私みたいな孤独な世捨て人だからできることあるかもしれません。今は中小企業診断士の参考書を読み漁ってます。取得することができたらコンサルして欲しいけどコンサルト料がない小さな会社にアドバイスができるかもと思っています。(利益が出たら少しはいただくけど)中小企業診断士とは?

1人で電車に乗ることが増えました。特に目的はないけど、とにかく鈍行で。頭の中に名曲をかけながら☺️電車だとヘンリーマンシーニの名曲Sunflower~LossOfLove(映画ひまわりのテーマ曲)

oplus_0

田中一村終焉の家ですが何か寂しさと淋しさと力強さを感じました。ただじっと無心で立っていました。静かにというか、情熱的といか、よくわからないけど美しい終わりを感じました。本当に美しいものは儚さと哀しみを感じます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました